2019年初詣 ―棒縛り―

夜が明けた、新しい朝が来た、外に出てみた、綺麗な青空だった、いつもと変わらない空だった。
でも変わったものがある、西暦が変わった(1年増えた)、年号(元号)が変わった(1年増えた)、私の年齢が変わった、皆新しく変わったが私の年齢だけ1つ古くなった、そして節目の年になりまた1歩死に近づいた。昨夜夢に出てきた親友達はすでに亡くなられた人達ばかりであった。

さてこれから初詣に行こうか(行くことに決めた)特に信心している神仏が無いので毎年困ってしまう。しかも出勤時のターミナル駅のようにどこもかしこも込み合っている、考えただけでもうんざりする。その年の一番最初の難関が初詣だ。今回は少し遠出をしてみようか、遠出といっても普段使用している定期券の範囲内だ、それ以上遠くには行きたくない。最寄の駅は急行、特急等は休日には停まらない、通称中央総武線とかいうのがのろのろ走っている。とりあえずそれに乗ってみた、空いていた、まん前に人がいない席に腰を下ろす、定期券ぎりぎりの駅で降りた。新聞広告の案内では、この駅から神社まで5分とある。改札を出ると右側に参拝の方はこちらという矢印の案内板が出ている。ぞろぞろ人が歩いていく 、監視および案内役のおじさん達があちこち立っている、信号のある交差点を進んだら左側に広く空いた場所がありそこに大勢の善男善女がざっと100人ぐらい並んでいる、”やめた”そのまま戻ってまた駅のホームに立った、体調もあまりよくなかった、最寄り駅まで戻ってきた、この近くにも神社がある、やはり近所で済ませよう、ここも結構有名な神社なのだから。昼近くなって段々人出が多くなり、爺さん、婆さん、中爺、中婆、青年、子供、種々雑多の人間共が、この神社を目指して掃除機に吸い取られる埃の様に参道に吸い込まれてゆく、私もその内の一人として大勢に混じって参道を歩いた。 エドガー・アラン・ポーの「群衆の人」「大海原に続く砂浜の一粒の砂」「大気から見放された見えない埃」某氏曰く、神社(神)とは尊いもの、必ず正装で参拝せよ、男性は紋付き羽織袴、女性は振り袖、黒留袖、参道の中央は歩かぬ事、しかし、そんな人は1人も見当たらない、私とてスーツ姿である。

右手に小さなホールが有り、そこで若い女性が唐傘を開いて踊っている、外に観客用の椅子が並べてあり、、腰かけて観ている人もいるが内容が分かっている人が何人いるか?こんな踊りよりも「狂言」でもやれば良いのに、以前はあった様な気もするが時間帯が違うのかもしれない。そういえば、羽織袴で思い出したが、中学生の頃、学芸会で「棒縛り」を演じたのを思い出した。シテが太郎冠者、アドが主人、コアドが次郎冠者、私はアドを演じた。
閑話休題、奥に行くにつれて歩みが遅くなってひと塊になる 。「横6人で並んでください」整理係のおじさんが叫んでいる、お通夜の焼香の場面を思い出す、そういえば整理係のおじさんは懸衣翁(けんえおう)に似ていないことはない、とすればこの先には奪衣婆(だつえば)がいるのかもしれない、順序が逆になるが・・・待つこと10分位どうやら順番が回ってきた、神殿は、遙か奥に有り誰もが入れないようになっている、これでは参拝者の願いは届くまい。
目の前には大きな賽銭箱がでんと大きなクチを開いて行く手を阻んでいる、型どおり賽銭と柏手、礼、で終わって、帰り道、外に出られない人のために、病気平癒祈願のお守りと厄除けのお守り、おみくじを買って家路についた。帰りはやはり裏通りを歩いてきた。どの家も表玄関と違って裏口のお粗末な事、人っ子一人通らない廃墟の街、墓地を思わせる静けさ、ただ何処の家でも小さな庭先や裏の湿地にも色とりどりの名も知らない花を植えて有り、それらが寒さにもめげず精一杯咲き誇っているのが、沈んだ心を和ませてくれる。

今年はどんな年になる事やら、皆様のご多幸をお祈りします。

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