”研修医という名の殺人マシーン(その2)”

~その1からつづく~
 不安を抱えたまま、我慢してじっとしていると、同僚(研修医)らしき人物が入ってきた。担当研修医は、「なあこれどう思う?」とその同僚に話しかけ、「それは貴方の思った通りにすれば良いだろう」と同僚らしき人は答える。「ああそうか、」「それから、これだ、ええとどこだったかな?」といいながら、挿入している内視鏡をあちこち動かすので、そのたびに腸がねじられ、こねくり回されて痛いのと苦しいのが同時に襲ってきて、思わず「痛い!痛い!」と悲鳴を上げる。

 しかし、私(患者)が苦しんでいることなど一切お構いなしで、担当研修医は相変わらず女性看護師たちとふざけながら検査を進めている。
「なあこれはどう思う?」、「何よ」、「ほらこれだよえーとどこだったかな」、と言いながら、また腸内の内視鏡をあちこち振り回す、そのたびに下腹部をえぐられるような痛みが襲ってくる、「痛い」といっても何ら手加減はしない、[ほら、これだこれだ」といって内視鏡を持ち上げる、「わーどうかしら!」看護師たちは、笑いながら覗き込む。
 こちらは痛くて、苦しくてたまらない、気を失いそうなのをこらえる、ここで気を失ってしまったら死ぬまで好き勝手に弄り回される。人体実験そのものでしかない。「もう中止してください!!」と何度も叫んだ。 

 「中止と言われてもまだ半分しかやっていない」、えーっと思って壁掛けの時計を見上げた、もう開始から1時間以上は過ぎている。 
 これまで20年間毎年検査をやって来たがいつも20分ぐらいで終わっている。ポリープを5個以上とった場合でも30分はかかっていない。
 でもこの人達は、そのまま継続して同じように遊び感覚でやっている。看護師の一人が、「それでは睡眠薬・・・をもっと増やしましょうね」といったが、(多分麻酔剤の間違いだと思うが、用語すらわかっていない連中だ)効いてきた感じはなかった。
 こんな検査が、だらだらと続いたが、もう、苦痛も呼吸困難も限界にきて、これ以上続けられたら、確実に死んでしまう、と私の本能が感じたため、「もう中止してください」を連発してやっとやめてもらった。すでに開始してから2時間以上が経過していた。
 息も絶え絶えの状態だったが、かろうじて意識だけは維持していた。

 有難うございました、と医師にはお礼の言葉を述べたが、知らん顔して無視された。
 病室まで、車椅子で運ばれたと思うが途中は意識が無かったのかよく覚えていない。
 病室に帰ってから、ナースステーションの看護師がきてすぐドクターを呼び、点滴を新たに、酸素吸入装置をつけて、ベッドに排泄用シートを敷き、排泄用尿器・便器をおいてその都度ナースコールをするように、2時間以上は絶対安静が必要で動かないように指示された。
 その後、2回ほど排泄して夕食に時間も何時間か過ぎてようやく少しは動いてもよいとの指示が出たので、どうやら死亡は免れたのだと思った。

 翌日、やっと動けるようになり、何とか退院したが家に帰ってからも4~5日は寝込んだままだった。
 その後3週間ほど後に、主治医から検査の結果説明があるというので、聞きに行ったが、検査の内容には触れず、結果だけを二言三言ですべて終わりにしようとしたので、「お話はそれだけですか」と言ったら、ほかに何か?と言われた。
 無性に腹立たしく思い、「この検査の医師・看護師を選任し、指示したのはどなたですか」、と聞いたら「それは私です」といわれたので、「それならこの検査についてすべて報告がなされているはず、それについてどうお考えなのか」、と聞いたら、その詳細については報告がなかった、申し訳ない、今後そのようなことが無い様にいたします、とのことで、「本人を呼んでください」と言ったら、今は患者さんと接触中なので呼べません、の一点張りで、それがいかにも慣れた様子で、こんな事は日常茶飯事に行われている、ということがよくわかる対応だった。

 大病院では、新人の医師を一人前の医師に育てるために、中堅の医師がグループを作り指導に当たっているらしい。
 医師免許を取得したばかりでは、まともなことは何も出来ない。ある一定の研修期間が必要である。新人は、研究医、臨床研究医、専攻医というように分かれて研修するらしい。

 そういえば、検査入院を決めるときに、患者の状態をよく知っておかなければ安全な検査は出来ない、という名目のもとに、患者本人の家族構成や、現状の様子、生活環境など、微に入り細にわたって聞き取り調査を行う。
 それは、患者本人がどういう状態におかれているか、例えば、生活の中心か、家族の中に苦情をいう煩い者がいないか、警察や裁判に持ち込まれる可能性の是非、金銭的な余裕、などなど調べて、結果、死んでも家族や関係者から苦情が出そうもない者を選んで、自分のグループの新人達に、親鳥が雛に餌を与えるように、・・・・・・・・・・・・・・・ 私のような高齢者で、生産能力が無く、長生きすればするほどお金がかかるという人間を、研究材料として投げ与えているのだと断定できる。

  高齢者が増加することは、社会保障費が増加する、高齢者の減少は国をあげての政策であり、厚労省あたりの働きかけもあると考えられる。
 これに対して、高齢者も自分を守るためにどのような手段をとるべきか、考えた結果いくつかの方法を見つけたが、あまり長くなるのでそれは機会があればまたお話したい。  

最後までお読みいただきありがとうございました!

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