いじめ・親友・やじろべえ-人間の歴史は殺戮と略奪の繰り返し-

昨年大津市の中学生が苛めを苦に自殺したことに端を発して、何とか苛めを無くそうと各地の小学校や中学校等でさまざまな取り組みを試みて努力している事が伺える。これ等の行為は大変大切なことだし、どうしてもやらなければならない事だと思う。

 苛めは学校に限らず職場内でも、家庭内でも、スポーツ界でも、公園でも、人の集まるところ、必ず苛めはある。
 苛められる者と苛める者、これは学校であれ、家庭であれ 、職場であっても必ず共通している事は、力関係がアンバランスだという事です。ここでいう力とは、腕力、知能、財力、権力、立場の相違、環境の相違等々、生存権を脅かされないものの総称です。

 腕力の強い子と弱い子、上級生と下級生、先生と生徒、先輩と後輩、警察と民間人、監督と選手、親と子、少人数と大人数等々殆どが力関係から来ているように想われます。 

 私が今までにかかわり合って来た人々は大別すると、取引先の方々、知り合い、友人、親友、の区分になるかと思われます。、この中で親友とはどの程度の関係をいうのか、と聞かれると返事に困るのですが私的には、何でも相談でき、多少無理してでも融通しあい、他の人達から非難されても、最後まで(程度の問題は有りますが)信じてくれる、こんな関係にあるのが親友だと思っています。

 ですから親友と呼べる人は何方でも非常に少ないと思います。相手がなんと考えているかは別として私が思うに私の親友は5人位しかいませんでした。(過去形)このうちの一人は20年前に亡くなられ、もう一人は10年前に亡くなりました。そして一昨年(23年)二人亡くなってしまいました。私はなぜか年上の親友しかいませんので、5名の内あと一人になってしまいました。

この方はもう79歳です。亡くなられた方々の内、10年前に亡くなられた彼は、5人の中でも最も親しくしていた方ですが、難病に罹り5年ほど入院した挙句帰らぬ人となりました。病気になられてから(まだ入退院を繰り返していた頃)こういう時こそ少しでも役に立たなければ親友ではないと思っていた私は、あることで何度か彼のところに行ったのですが彼がその報酬を私に支払おうとしたので、私は友達としてできることをやったまでだ、報酬など受け取れない、といって彼の家の前でさんざんやりあったあげく彼は病弱の為私に押し切られてしまったのですが、彼が家の中に入ろうとした時振り返って私を恨めしそうに睨んだのです。そして2~3日過ぎたら費用が送られてきたのです。すぐ送り返しましたが又送り返されこの繰り返しでやむなく半額を受け取り一応解決はしましたが私は親切の押し売りをしてしまったのかと複雑な気持ちになり、10年過ぎた今も彼が振り返って睨んだあの眼差しを忘れることが出来ません。

 このときから私は、友情というものはお互いに持ちつ持たれつの、ある意味対等の立場でなければ成立しないのかなと考えてみたりしました。

 これは苛めでも同じ事で、両方に何らかの「力」があり平均して均衡を保つぐらいでなければ苛めは無くならないのかなと考えます。
 この原理は国家間においてもいえる事ではないでしょうか。残念ながら今の状況では、力のない国は滅ぶしかないのではないかと危惧いたします。

 世界の非難を浴びながら何度も核実験を繰り返しているあの国もたぶん生き残りをかけて必死になっているのだと思います。

 核兵器をなくし、戦争をなくすることは理想であり絶対に実現しなければならないことであるのは勿論ですが、理想を唱え続けて国や民族が滅んでしまっては何にもならないと考えます。

 絶対に戦争を行わない為には他国から絶対に攻められない力を持つことが必要だと思われます。

 鳥や獣を捕らえる弓矢を捨て、魚を獲る網を破り捨て全世界が平和に暮らせる世の中を構築するのは、後世の方々に委ね、今はまず日本国と日本民族が世界に存続できる力をつけることが肝要と想われます。

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