暑かった夏が過ぎ、秋本番といった今日この頃、喫茶「情報塾」の店内は相変わらず静かで、品格のある落ち着いた雰囲気が漂っていた。
4席のボックス席の奥の席では、 恋人同士らしい若いカップルが、テーブル上の飲み物には目もくれず、お互いに身体を寄せ合って小声で囁きあっていて、その隣のボックスでは中年の女性が独りで運ばれてきたコーヒーには口を付けず、誰かを待っているように憂いを含んだ顔をうつむき加減にひっそりとすわっていた。
夕方の5時を少し過ぎた頃、カウンターの止まり木には常連達がぼつぼつと集まり始め、D氏、E氏、F氏、Y氏は、それぞれ自分専用と決めつけた席に腰を下ろして世間話に花を咲かせていた。そこへM氏が入ってきた。彼は電気工事業を営んでおり、その仕事ぶりは評判も良く、堅実な仕事ぶりには定評があった。常連の中では一番高齢であろうか、柔和な笑顔を見せながら、いつも控えめで他の人達の話に耳を傾けていた。
だが今日の彼はいつもと少し様子が違うようだった。その表情は硬くいつもの笑顔も消えていた。それに気がついたのはE氏だった。
E「どうしたのMさん、何か心配事でも?」E氏の言葉に他の人達も何かを感じ取ったらしい、怪訝そうな目でM氏をみた。M氏は、二人の男の子に恵まれたが運悪く二男は精神障害のため、一般社会人としての能力はなく家で療養している状態だった。何年か前に基礎年金の障害年金を受けるようになったと聞いたことがある。M氏は高齢のため、長男を「成年後見人」として家庭裁判所に選任され今日に至っているという。
M「いやーその・・なんと言ったら良いのか、下の子の事なんだけど、成年後見人として長男を選任して頂いたのだが、家庭裁判所では何を思ったのか、更に「成年後見監督人」を付けたのですよ、しかも長男の「成年後見人」には何の説明もなかったそうです。
意外なM氏の話に、仲間達は唖然として言葉もない、次を促すようにM氏を見やった。 M「実際二男は年金を受けているといっても、基礎年金だけですから、月額6万円とちょっとなのです、勿論国民の皆様方の税金で給付されているわけでして、それはそれで有り難く感謝しております。その内から、本人が雑費として月に1万円~1・5万円位使います、そうすると年間45万円位しか残らないのです、とても他人様にお金を払って面倒見て頂く事は出来ないので、長男に無償で「成年後見人」を選任して頂いたのです。それにもかかわらず、長男を選任しておきながら、更に成年後見監督人を付けるとは、どういうことでしょうか、しかも特にこれといった仕事をするわけでもないのに、毎月2万円を手数料として支払えというのです。そうすると二男は年間20万円位しか残らないのです。 私の仕事も決して儲かるものではなし、とても二男の将来を支えていくだけの貯蓄もないのです。確かに今現在で、2~3年生活出来る位の預金額になっています、(二男名義) でもこれは全部年金だけではないのです、私が長年かかって二男に小遣いとしてあげたお金が含まれているのです。こんな不条理な事ってあるのでしょうか。」M氏は此処まで一気に話すと言葉を切って、思わず下を向いた。
「随分ひどいことをするじゃないか」D氏が目をむいて言った。「そうだ可笑しいよ、その判事は我々庶民がどんな暮らしをしているのか解っていないんだ」とY氏、側からF氏が、「そういえばうちの娘がやっている「ブログ」をみると、家庭裁判所の判事はおかしな人間ばかりで、妻の嘘の申立書を真に受けて、子の親権を虐待する妻の方に認めてみたり、夫婦間の争いは全て夫に非があると決めつけている判事がいて、子供を取り上げられて困窮しているお父さん達のブログがいくつかあるようだしね。」
「考える脳が足りないんじゃないか、高崎山の猿だってもう少し情があるよ、判事といわれる人ならば、人間並みとは言わないが、せめて猿並みの脳と情を持って貰いたいものだね」と一同騒がしい。「どうすれば良いのかね」とF氏、皆これという思案もなく 自然とマスターの方に目が注がれる。
それまでマスターはいつものとおり、右端のカウンターの中で静かにグラスを磨いていたが、常連達の目が自分に注がれているのを感じると、少し照れたようにはにかみながら小さく口を開いた。「その判事さんにはそれなりの理由があったのだと思います。」
意外な発言に皆が声を飲むと、マスターは少し慌てたように「裁判所は独自で成年後見監督人を選任する権利があるのです。」(家庭裁判所は、必要があると認めるときは、青年被後見人、その親族若しくは成年後見人の請求によって、又は職権で成年後見監督人を選任することができる・・民法第849条の2)
「いくら権限があるからといっても何でもかんでも権限を行使すればいいってものじゃないでしょう」D氏が憤慨したようにいう。
「そうです、その通りです」マスターは大きくうなずいて言う。「世の中に権力ほど恐ろしいものはありません、その権力を一番恐れなければならないのは、その権力を持っている「権力者」なのです、それは、政治家、役人、会社をとわず、何処の世界でも同じなのです、相手を思いやる心が無ければ人間の世界は成り立ちません、今の人達にはその思いやる心が欠けているようですね。」皆はもっともだ、という顔でマスターを見やった。
「金塊集(金槐和歌集)」にこんな歌が載っています。
『 時により過ぐれば民の嘆きなり 八大龍王雨やめたまえ 』
これはご存じのとおり、源の実朝の歌ですが、彼が鎌倉幕府3代目の将軍中に歌ったもので、豪雨で田畑が駄目になり、橋や道路が壊れ家屋が倒壊して一般庶民が難渋している時に自分は人を治める地位に有りながら、力及ばぬ事を嘆き、雨を司る八大龍王に祈念して詠んだ歌だと聞いています。これこそが為政者たる者の心構えだと思います。」
マスターはM氏を見ながらつぶやくように言った。「たぶんこの判事は、事情をよく知らずに、外見だけを考慮して判断したのだと思います。成年後見人と成年後見監督人と二人でよく話し合って見ることです、きっと良い方向に進むと思いますよ。」
それを聞いたM氏は大きくうなずいた。
秋の夕暮れは、つるべおとし、いつの間にか外は暗くなっていた。
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