2017年初詣―神は頼るものではなく敬うもの―

良く晴れた清々しい朝だった。
空は青々とした日本晴れで風も爽やかで冬としては暖かな元旦だった。
外に出てみると何時もと変わらない風景が広がっていた。
新年だ、と思ってみたが唯それだけだった。毎年元旦には初詣を何処にするか迷うのだったが、今年は迷わなかった。信心している方も居るので名は出さないが、絶対に行きたくない所があるがそこを除けば何処でも良かったからである。朝飯を食べてから最寄りの駅近くにある神社へ向かった。

人によればこの神社は「三貴子」が祭られていて、数少ない神社だと言うがそんなことはどうでも良かった。
天つ神の命により、伊弉諾尊と伊弉冉尊がこの国を創り次々と神を誕生させたが、火之神を創ったとき火傷をした伊弉冉尊が黄泉の国へ旅立ち、会いに行った伊弉諾尊がある事で驚いて逃げ帰り、(この頃から夫婦喧嘩、離婚等があったらしい)汚れを洗い落とそうと御祓をした際に、左目を洗ったとき天照大神が、右目を洗ったとき月夜見尊が、鼻を洗ったときに素戔嗚尊が誕生したとある。とりあえずお賽銭を捧げ、2礼2拍1礼(だったと思う)して何もお願いしなかった。どうせ願い事など聞いて貰える事などあり得ないし、八百万の神様でもよほど気まぐれで変わっている神様でもいない限り、私などに振り向いてくれる神はいないだろう。

 かつて、宮本武蔵が吉岡一門と決闘するべく一乗寺下り松に向かったとき通りすがりに
八大神社があったので、武運を祈っていこうと入りかけたが思いとどまって、祈らずに決闘に望み勝利したという話がある。

 帰りは神様の通り道である参道の真ん中を歩いて帰ってきました。

 間道を歩いて来ましたが、比較的早かったせいかほとんど人に会わず、家々の前や小さな庭に咲いている色とりどりの花が目に優しく語りかけ束の間心を和ませてくれました。 残された僅かな人生、果たしていつまで持つのやら私には解らないし、神様にも解らないでしょう。

 皆様には、ご多幸の一年でありますようにお祈りします。

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