” 追 憶 ”

猛暑を残したまま立秋は過ぎた、広島の原爆忌、長崎の原爆忌も過ぎた、猛暑は更に厳しい。盂蘭盆も敗戦記念日(8月15日)も過ぎた、強烈な台風7号に引きずられるようにすべて過ぎ去った、猛暑を残したままで、、、。

毎年8月になると、かの太平洋戦争の敗戦記念日を振り返る記事が新聞や雑誌を賑わせて、そのすべてが他人の出来事のように、戦争を行ったことを悔い、不戦を誓い、そのためには武器を造らない、持たない、2度と戦争はしない、というようなことを羅列して、原爆被爆地の、広島や長崎に平和公園を作り、敗戦の結果を象徴する資料館を造り、戦争(敗戦)の悲惨な資料を展示・展開して平和の維持を訴える。

そして、78年が過ぎ去った。愚かな「時」という創造物は、ことごとく新羅万障に逆らい、「時」だけが移動して、太平洋戦争という出来事を78年も移動させてしまった、そしてこれからも続くだろう。時が移動した78年という年月は、この出来事の当事者をどんどん他界させて、語り部を無くしてしまっている、そして語り継がれた事実は徐々にゆがめられ、真実とはほど遠いものになってきていると思う。

現在の少年・少女達は、この太平洋戦争というものについて、どれだけ事実を知っているだろうか?
語り部がほとんどいなくなってしまった今は、映画やフェクション である小説を読んでそれを鵜呑みにしてしまっているような気がする。

真珠湾攻撃と、広島・長崎への原爆投下は全く意味の違うものであることを肝に銘じてほしい。
真珠湾攻撃はやむにやまれぬものであったのに対し、広島・長崎への原爆投下は全く必要のないものだったのだ。

若い人達は時々広島・長崎の資料館に行ってその悲惨な光景を見て、思いを巡らせ、二度と日本の国土を、人間をこのような悲惨な目に合わせないために、強い日本を造るべく「臥薪嘗胆」常にこの光景を頭に刻みつけていてほしい。

日本という国は、世界的に見ればその歴史は浅く、しかも紀元は定かではない。
(神武天皇即位の年を、西暦紀元前660年と定め紀元元年としたらしい、ちなみに今は紀元2684年になる)
我が国に限らず、戦争は繰り返されその歴史は長くその争いになる原因も様々ある。
人間誰しもが持って生まれた、「欲望」というものがある限り戦争は永遠になくならいだろう。(ロシア対ウクライナは領土がメインと思われる)

今でも皆口々に平和を叫びながら、あちこちで戦争は行われている。
最近コロナの感染がうるさく言われなくなり、観光地が賑わいを取り戻しつつあり、外人客も目立って多くなってきているが、やはり男女を問わず白人、黒人は際だって大きいひと達が多い。国も、人種も違えば、考え方や生活習慣も違ってくる。
身体の小さい人は、大きい人に侮られ、貧乏人は金持ちに見下される。最近の日本人は昔に比べて少しは体格も良くなってきているが、欧米人に比べればまだまだ矮小でしかも有色人種だ、彼らから見れば遙か下等人種と思っている人も多いのが本音だと思う。

戦争は「武力」だけではないが、最終的には武力で決することになる。
武器を持たなければ戦争はしなくて済む、などというのは妄想に過ぎない。
他国がミサイルを持てばミサイルで、核兵器を持てば核兵器で対抗しなければならない。
しかも他国にせめて来られないように、他国より優れた防御力が必要になる。

過去、現在を見ればよくわかると思うが、戦争は多くの人間が死に、経済が疲弊する。
そしていつも苦しめられるのは、子供、高齢者等力の弱いもの達や貧困者等弱者がほとんどだ。日本は他の国と違って徒歩で国境を越えることはできない。必ず飛行機か船で国境を越えるしか方法はない。故にもし戦争に巻き込まれたら必ず本土を荒らされてしまう。

従って軍事に必要なもの(武器、輸送機等)を備えるには自国だけでやらなければならない。共同開発などとうまく乗せられて、さんざん浪費させられいいとこ取りをする国は沢山ある。日本もそろそろそれに気がつかなければならない時期に来ていると思う。

前述したように、真珠湾攻撃は、その時の大統領が日本を誘い出すための撒き餌に過ぎない。広島・長崎の原爆投下は、200%勝ち戦であったにもかかわらず、人間を人間とも思わない残虐な殺戮行為だ。

原爆を造り日本に投下することを進言したA、製造に従事したO、少しもためらうこと無く、広島・長崎に投下を命じたH,S、T大統領、この者達の評価が変わり、米国人全員があれは間違いであったと認めるまでは、何百年時が過ぎようとも太平洋戦争は終わらない。

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