グロテスクな人々~東電OL殺人事件

人間の行為には、必ず理由があると思います。それが意識的だろうが無意識的だろうが、ある考えにもとづいて行為が行われる。もしくは何も考えないで本能全開であったとしたら、その本能が、行動の理由となり得ます。

その行為の結果、様々な悲劇と喜劇が繰り返されます。

最近桐野夏生の「グロテスク」という小説を読みました、東電OL殺人事件に触発されて書いたという本です。

東電OL殺人事件というのは。昼は東電の総合職(年収1千万)、夜は売春婦をしていた女性がその売春相手(かどうかは不明、いまだに裁判中)に殺されるという事件です。足がマッチ棒のように細く、一目で拒食症かと思えるほどだったそうです。毎日4人を相手にすることをノルマとして自分に課し、必ず終電で帰り、次の日にはきちんと会社に出社する生活を4年も続けていたそうです。

私が一番驚いたのは、職場でも、家族でも、その(肉体的にも相当過酷であったであろう)奇異な生活に気がついていたにもかかわらず、誰もが彼女を放置し、彼女に、積極的にかかわらなかったということです。このことが、この女性の、圧倒的な”孤独”を表しているように思います。

傍目には自殺行為ともとれる行動でも、本人にとっては、そうしなければならない理由(考え)があったのでしょう。桐野夏生の小説では、努力すれば全てを克服出来るのだと信じて疑わぬ、彼女の内なる真理(負けたくないというきまじめさ)がそうさせているというもので、本人はあまりにも真剣なので、それは客観的にみるとかなり痛々しく、読後感は決してよいとはいえないですが、この小説の世界には圧倒はされます。

現代人が、微妙なバランスのもとに、うすい絆を感じながら生きているのだとしたら、その関係性は、何らかのちょっとした要因で、いつでも寸断されるという可能性をはらんでいると思われます。

もし、家族の絆、友達との絆、仕事仲間との絆、その他趣味、ボランティア等々の社会性を保つ絆、そのうち一つでも残っていればよいのですが、もしいずれもが寸断したならば、その途端、圧倒的な孤独が待ち受けているということになります。

そうすると、人は自分の中だけでの真理(理由)のみを追い求め、その結果よりグロテスクな面持ちとなるのでしょうか、。

 

 

ブログランキングに参加しております。よろしければポチッとお願いいたします。

士業ブログランキングへ
にほんブログ村 士業ブログへ

人気blogランキングへ

カテゴリー: 店員Kの戯言 タグ: パーマリンク