人間が神に劣るのは、馴れと忘れる習慣があるからだ。 (どう対処する、3大難事・・自然災害・防衛(核兵器)・社会保障)

防災対策基本法第1条は次のとおりになっております。
第1条 この法律は、国土並びに国民の生命、身体及び財産を災害から保護するため、防災に関し、基本理念を定め、国、地方公共団体及びその他の公共機関を通じて必要な体制を確立し、責任の所在を明確にするとともに、防災計画の作成、災害予防、災害応急対策、災害復旧及び防災に関する財政金融措置その他必要な災害対策の基本を定める事により、総合的かつ計画的な防災行政の整備及び推進を図り、もって社会の秩序の維持と公共の福祉の確保に資することを目的とする。

第2条 1号は、災害 暴風、竜巻、豪雨、豪雪、洪水、崖崩れ、土石流、高潮、津波噴火、地滑り、その他の異常な自然現象又は大規模な火事若しくは爆発・・・とあり、2号は、防災 災害を未然に防止し、災害が発生した場合における被害の拡大を防ぎ、及び災害の復旧を図ることをいう。となっています。

これ以上の、法律、政令、施行規則等は省略致しますが、これらを見る限りにおいては我が国の災害対策は万全である様に思われます。
元号が令和に改まってからの初試練ともいうべき台風15号が残していった爪痕はどうでしょうか。台風だけを取り上げても、毎年台風の時期になり、幾つかの台風が通り過ぎた後は必ずといってもいいくらい、何カ所かの堤防が決壊し、家屋が破壊され、何人かの死者や行方不明者が出ております。

台風で、記憶に悩ましいのは、室戸台風(含第2)、伊勢湾台風、ジェーン台風などであろうか、あれほど痛い目に遭ったにもかかわらず、少しも対策が取られていないように思うのは私だけだなのか。

自然災害による損害は原則賠償責任が問われないので、備えることの重大さを感覚的に失ってしまうのだろうか?

前述した台風15号(9月9日~10日)は特に千葉県に鋭い爪痕を残して去った。
それが今日に至るも未だに復旧していない。更に17号が追討ちをかけた。過去の教訓はどうなったのであろうか。
それにまだ記憶に新しい、東日本大震災(平成23年3月11日)も復旧作業が遅々として進んでいない。これは地震によるものだが、法律とはほど遠い状況にある。

今後住居(家屋)を造るなら、どんなに強烈な風が吹いても、豪雨、豪雪、洪水等にあってもびくともしない家屋を造る事が肝要です。不可能ではありません。建立する場所と建設方法を変えれば良いのです。それを可能にするにはどの様な手段があるか十分に検討し,実行していくことが必要です。

又、世界情勢を見るに、もはや米国は世界の警察たる力を失っている様に思われる。核兵器も根絶を叫びながら、いろんな国が核兵器を保持しようとしている。戦争で一番の犠牲者は一般国民だ。どこの国でも同じだと思う。我が国も好むと好まざるとに係わらず、必ずや争いの渦に巻き込まれていく運命にある。戦争をしないためには、侵略を阻止する力を持たなければならない。何の理由もなくいきなり無理難題を押しつけられ、それを無理矢理根拠にして戦争に持ち込まれてあっけなく占領されてしまっては、いくら正義を唱えて見たところで何にもならない。やはり侵略を阻止する力(武力)を早急に備えなければならないと思う。

これらを維持していくためには、国民が一丸となって取り組まなければなりません。
言論は自由だが、一度事をなさんとする時には国民の意識の統一が必要です。
それとは別に国内では、社会保障費が年々増大する、といって高齢者の増加がすべてのようにいわれておりますが、決して高齢者の医療費ばかりではないのです。
出産手当金及びこれに関連した費用、育児休業給付、介護休業給付、子供、子育て給付金、子供の医療費、(助成)、学費、教科書等にもかかっている。
その他まだ多くありますがここでは割愛します。社会保障費が増大するのは高齢者が増えて医療費が増大するからだ、といつも高年齢者を目の仇にされますが決してそんなことはありません。 もっと冷静になって思考を凝らしてみて下さい。

時は変化しながら進んで行きます。その時々の変化に合わせて環境を変えて行かないとそこに無理が生じ、破綻を来すのです。

グローバル化して来たこういうときこそ日本人として自国をアピールすることが必要なのです。

3世4世が悪いとはいいませんが、何の信念や理念も持たない議員や、被災地で人の災難につけ込んで空巣や持ち逃げ、詐欺まがいの行為を平然と行なっている者がいるようではこの国の末路や哀れ、速やかに統一した教育が必要かと思われます。

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