秋葉原無差別殺傷事件と橋本左内-親を思う心に勝る親心今日のおとづれなんときくらん(吉田松陰)-

秋葉原無差別殺傷事件の犯人は、供述の中で盛んに親への恨みつらみを述べているらしいですが、これは取調べの方法により左右されると思われますし、生まれながらの性格や育成過程での環境によるものが大きいと思われますが、確かに親が子供に与える影響は大きいと思われます。

この様な事件がおきると世論は必ずその犯人の幼児期の事や家庭の内幕などをおもしろおかしく騒ぎたて、親の躾が悪かったからだとか、親が厳しかったからとか、教育熱心で子供に勉強を押しつけて、子供の好きな事をやらせなかったからだ、と根ほり葉ほり詮索して、親が犯罪者であるかのごとく決めつけようとしますが、果たしてそうでしょうか。

人の親だとて、親のまま生まれてきたわけではないぐらいは誰でも知っているはずです。
幼児期、青春期、青年期とそれぞれの過程を経て親になる、当然のことです。
その過程において、自分が嫌な目にあったこと、悔しかったこと、惨めだったこと等二度と味わいたくないと思ったことがたくさんあったと思います。
そして人の親になったとき、殆どの親は自分が経験してきた嫌なこと(負のこと)は、自分の子供には味会わせないように心を砕くでしょう(何事にも例外はあります)。

また、自分が死んでしまった後、一人で生きていけるように生活能力を身につけてあげなければならないと考えるはずです。そのために親は礼儀や勉強(学習)について口うるさく指導する訳です。子供が大勢の他人の中で生きていくためには、どうしてもある一定以上の生活能力が必要なのです(「義務教育制度」もその一端だと思います)。

どこの親でも子供には同じような気持ちで接しているはずです。それにもかかわらず、事件を起こした子供の親をこれでもかこれでもかと攻め苛む のが正義だと思いこんで、身勝手さに気づいていない方が多いのではないでしょうか。

親の敷いた線路は歩きたくないとか、自分の人生は自分で決めるという子達の話を聞きますが、それが正しいのか否かはなはだ疑問です。良く成功した人のことでインタビューを受けている親が話しているのを聞いていると「いやぁー本人の好きなようにさせていただけですよ」といっているのが殆どだが、それで子供が優秀に育つなら苦労はしません。

所詮親と子は相容れないものなのでしょうか。?これは悲しいことです。親にとってこれほど悲しいことはありません。躾と教育を受けさせること以外に何をしてあげることがでしょう。唯3度の食事をさせ、着飾らせ、小遣いを与えて好き勝手にさせておけばいいというのでしょうか?この犯人は、こんな世の中が嫌になったともいっているらしいですが、私も今の日本の風潮が決して良いとは思えません。人情は希薄になり、自由と身勝手をはき違えた自己中心的な言動が横行している現状を何とかしなければ、と思っている一人です。しかし、この様な犯罪は決して許されるものではないし、弁護する余地もありません。

どうして親が子を、子が親を、信じることができない世の中になってしまったのか、唯唯嘆かわしいと思うのです。

 

  「啓発録」 
  
1.稚心を去る
2.気を振るう
3.志を立てる
4.学を始める
5.交友を択ぶ

                    橋本 左内 (15歳の言行)

 

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