”闘 争”

早いもので今年も春闘の時季がやってきた。
春闘は、労働組合側では「春季生活闘争」経営者側では「春季労使交渉」というらしい。 そもそも「闘争」とは何だろう?ネット上によれば、1.相手を倒そうとして争うこと、2.相手に勝とうとして争うこと3.争闘、4.社会運動や労働運動などで権利や要求を獲得するために争う事等々、広辞苑によると、たがいに争うこと「本能」、特に社会運動、労働運動などで要求を貫徹するために争うこと等となっている。

「闘争」で心に浮かび上がるのは、アドルフ・ヒトラーの「我が闘争」ではなかろうか、 彼がミュンヘン一揆で失敗して投獄された際、獄中で口述筆記により書き上げたものだといわれている。私はこの書を最初から最後まで読んだわけではないが、彼の世界観、ゲルマン民族の優秀性、ドイツ国家の世界制覇?等を自己の信念として述べている様に思われる。
我々日本人も、他の民族を見下し、他国を非難する事は絶対に許されないが、日本人として大和民族を誇りとし大和魂をしっかりと意識すべきだと思う。

中国中央総書記の習近平氏が、中青年幹部養成クラスの開講式で行った講話のなかで、「闘争」という言葉が多数繰り返されていた、と言われている。
早計かもしれないが「闘争心」は生きとし生けるものの本能であり、「闘争心」を駆り立てこそ生存が可能になるのかも知れない。
年は2022年(令和4年)に変わったが、新型コロナウイルスも一緒についてきた。 人間が一つ年を重ね、死亡し、出生するように、コロナも又変異し、強力になり、新型を生み出してくる、まさに人間とコロナの闘争である。

闘争である以上勝たねばならない、「孫子曰く、彼を知り己を知らば百戦危うからず」 岸田内閣は、コロナを最重要課題とする、常に最悪を想定すること、新型コロナを克服して新しい時代を切り拓くと言って、これまでの経験を元に、病床(病院の)を増やす、宿泊療養施設を増やして自宅待機は0にする、検査数を増やして誰もがいつでも受けられる様にする、と公言したが現実は、水際対策に失敗して易々とオミクロン株を国内に入れてしまい、又感染力強大でみるみる内に感染者が増大してPCR検査場は検査希望者が大勢押し寄せて対処しきれなくなり、役所(特に保健所)は陽性者の振り分けに対応出来なくなって指示を待っている陽性者を自宅に放置したまま何ら連絡もせず症状を悪化させている状態である。これが常に最悪を想定した結果なのか。
この新型コロナウイルスが跳躍を始めてから約3年目に入る、にもかかわらず国が行ったのは他の国で開発するワクチンを購入する事だけだった。後はひたすら国民に対して、手洗い、マスクの着用、うがいと不急、不要の外出は避けろ、(人流抑制)(人数制限)と声高に指示することだけだった。経済を回すと言いながら、飲食業者に対して、営業時間の短縮、酒類の提供不可、集合人員の制限、等々ひたすら国民に不自由を強制しているに過ぎない。

どうして自国でワクチンを開発し、経口薬を開発してコロナに打ち勝とうとしないのか理解に苦しむ。
病院や医院(クリニック)などに行くと入り口で必ず検温を受ける、咳き込んでいたり、熱が高かったりすると、なかに入るのを拒否される、別の入り口を指示されてそこから入り診療を受けられるのなら解るがそれも無い、医療機関は病人を診察・診療してくれる所だと思うが不思議な事だ。

まん延防止等重点措置や緊急事態宣言など経済活動を抑制するものばかりが目立つ、これで本当に闘っているといえるのだろうか?
新型コロナウイルスの発生第1波から第6波までの推移を見ると、段々山が高くなってきている様な気がする、過ぎた事象だけを分析するだけならそれは「司法解剖」に過ぎない、いくら正確に原因を解明しても死んだものは生き返らない。これから更に感染力が強く、すぐ重傷化して死亡者が続出するかも知れない第7波(パイ)、第8波(ロー)などがやってくることは十分考えられる。それらを見越して対策を立てる(先見の明)ことが最重要ではなかろうか、それは国を守り、国民の命を守り、国民を牽引していく国のトップ(内閣総理大臣)の頭脳にかかっている。

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