8月15日に思う。-勝者は敗者を許すが、敗者は勝者を許さない-

今年も8月15日がやってきた。そして、過ぎ去って行った、物悲しくひっそりと。
真夏の太陽は、容赦なく照りつけているが、郊外の墓地は、夕方ともなると、あるかなしかの風に秋の気配を感じさせる。

終戦(第二次世界大戦)から63年目の8月15日、ほとんどの国民は北京オリンピックに沸き立ち、日本選手の活躍に、一喜一憂している。テレビのどのチャンネルも、オリンピック一色。これはこれでよいと思うし、それをとやかく言うものではありません。

この浮かれた国民感情の間隙を縫って、その当時の首相、東条英機氏の書巻の一部が発見されたと報じられていました。それをめぐってテレビに出ているほとんどの著名人?(コメンテーター)は、批判的(否定的)でした。しかし私は、そうは思わないのです。当時の国民感情に逆らえなかったこと、その感情が浮薄であったことの嘆き、その国民の期待に沿えなかったことの無念さがつづられているように思いました。

もっとも、終戦時に出生した方々は63歳です。昭和10年頃の出生者でも当時は10歳、戦後の教育を受けてこられた方々だから、当時のことを理解できないのは無理かもしれません。でも、それでいいのでしょうか。

日本国で、戦後悪変した事柄は多くありますが、そのうちから3つほどあげると、
1.日常手抜き生活できる小道具がものすごく増大したこと
2.自由と身勝手を履き違えている者が、増大したこと。
3.国民全員の想像力が著しく欠如したこと

これ等3つの事象がミックスして相乗効果を生じたとき、どんな現象が現れるでしょうか(現われているのでしょうか)。すでに一部は、いろんな事件の報道によって浮き彫りになっていることもあるし、または何らかの形で経験されている方もいらっしゃると思います。このままでいくと数年後は、想像力をもってしても、それを超える世の中になっているかもしれません。

そもそも、日本はどうして戦いに敗れたのでしょうか。答えは簡単だと思います。病気にならないためには、日常の摂生と健全な心身が必要なのです。戦争や一方的な侵略は1国で決めることができますが、和平協定は2国の合意(=2国の国力が均衡であること)が必要です。

少なくとも、8月15日は、日本国民全員が、昭和20年8月15日でなければいけないと思います。

 

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