日 月(にちげつ)

思えばこの世は常の住み家にあらず、草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし(略)人間五十年、下天(化転)のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり一度生を享け滅せぬもののあるべきか (略)・・「幸若舞」より

 私は、いま一度もお会いしたこともなく会話をしたこともないお方のお通夜にきている。
 棺の中に横たわり、集まり来る群衆のざわめきを一身に受けているこの方は私とほぼ同じ年齢である。
 私も近年中にこの様な状態になることは間違いない。これは生あるものの宿命だから、
 令和5年も終わりに近づいた師走の25日、24日でもなければ26日でもない、この日は永遠に過ぎ去り戻ってくることはない。いま咲いている花も散ってしまえば2度と花は開かない、次には別の花が開く、すべて再生ということはあり得ないのだ。
 今ここに集っている人たちも120年後には皆いなくなってしまうだろう、そして相変わらず誰彼の通夜は続いていく。
 この世に雌と雄がいる限り、形を変え姿を変えながら同じ愚をくり返して、この世は永遠だと錯覚させる。

 まもなく令和6年の新年を迎える、といっても呼び名が違うだけだ、31日の夜明けというに過ぎない、しかし、人間は何かに取りすがらないと不安で仕方が無い、そこで新年だのやれ初詣だのと騒ぎ立てて不安を少しでも和らげようとする、それで少しでも救われるなら、それはそれで価値はあると思う。
 これから生を受けてこの世に送り出される者は、今までと違った性質の者達だろう、
そしてすでに存在している者達は疎まれて、通夜、火葬の憂き目を見ることになる。
 (あだし野の露消ゆることなく鳥辺山の煙立ち去らでのみ、住み果つるならいならばいかにものの哀れもなからん、世は定めなきこそいみじけれ・・・卜部兼好)
 (正月は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし・・・一休宗純)
 ※一休禅師が生存していた頃はまだ一里塚はできていなかったらしい

 現実に私も棺桶(棺)に入る年頃になってから、今の若い人(特に30歳前後以下)の女性の気持ちは全くわからない。買い物でスーパー行った時又は電車等の中で、一部の方々だと思うが、身勝手で、厚かましくて、無神経な人たちに悩まされる。
 そういう人達の中にも、教師になって精神疾患で休職する人や退職する人達が増加しているということが新聞に掲載されているのを見て不思議に思われる。

 又日本の国政の中枢を担う国会議員が国政を放棄して裏金作りに躍起になっていているというのは、最早この国(日本)も末期状態だと言うことだ。
 国会議員を選出するのは国民である、しからば国会議員になって、国会議員らしからぬ不正行為を行った国会議員を選出した国民(その議員に投票した選挙区民)には、その県や市区町村に限って、国庫支出金や地方交付税、地方特別交付金などを支払わないことにしては如何かと思います。
 自分達に不利になる法律を作る訳はないと思うが、それ位ののことをやらないとまともな国会議員は出てこないと思う。
 選挙における投票率が悪いのは、選挙(国政)に興味が無いからではなくて、興味があって調べてみた結果、投票するのに値する立候補者がいないからだ。

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