首と魂

 最近ビートたけしが、首という映画を撮ったと言う記事が、本人の紹介で某雑誌に掲載されていた。

 私が日頃彼に対して持っている感情は、大して好きでもなく又嫌いでもない。彼は皮肉屋で物事を俯瞰的にそれもやや斜め後ろから見て批判しているように思われる。
 それがこの雑誌の中では最初から最後まで、自画自賛で終始しているから私も戸惑ってしまった。


 時代は、天正10年京都本能寺にいた織田信長を家臣の明智光秀が襲撃した頃のことらしい。
 すでに11月23日に始まっているので、中身は語れないが、登場人物として、織田信長、羽柴秀吉、明智光秀、羽柴秀長、荒木村重、黒田官兵衛、曽呂利新左衛門等々この時代の一癖も二癖もある小ずるい?人物が大勢出てきてそれぞれの野望を満たそうとするのだから、それだけでわくわくしてしまう。
 「首」というのだから、誰の首か、1人か2人かそれとも・・


 日本人が、首ということから何を連想するだろうか?戦国時代は敵を討ってその証拠にその人の首を味方の大将に差し出せばそれについて褒美がもらえた、その首が敵の重要人物であればあるほど褒美も多かったに違いない。しかし首をいくつも持っていくのは重くてたいへんだったから、出来るだけ楽に、そして少しでも大勢の敵を倒したことを証明するためにいろいろなことが考え出されたらしい。
 しかし、その首が思った人物と違う人のものだったら何にもならない、そこで又首実検というものにいろいろ工夫を凝らしたらしい。


 歌舞伎の中にも、「菅原伝授手習鑑」「伽羅先代萩」「忠臣蔵」など首を題材にしたものがいくつかある。
 この頃は、この様に提供された首は丁重に扱われきちんと回向されたそうです。
 従って、織田信長が岐阜城で新年の宴で、朝倉義景、浅井長政、浅井久政の頭蓋骨で盃を作ってそれに酒をつぎ家臣に無理矢理飲ませた、というのは後日の作り話かと思われます。


 首の話は、洋の東西に関わらず世界的にあるようで、ギリシャ神話に出てくる、メドウサとペルサウスなどもその一つである。
 総じて私達は、首=頭の観念が強く頭が肉体と精神を支配していて、手や足、腰、肩、などと違い、肉体と魂を自由に操っている唯一のものと思っている特別な部分とみなしているのではないだろうか?


 同じ身体の部分でも、心臓、腎臓、膵臓、などの臓器や骨、血流当はある程度というか
ほぼ内容の解明は出来ているが、脳についてはまだまだ不明なことが多い。
 したがって幽霊などもほとんど足は無くても首(顔)が付いている、つまり、頭に霊魂が宿っていると考えられているからであろう。
 他の国では、古来首狩り族と称して人間同士で殺し合い首を取り合った種族もいるがこれは又別の次元で、人食を行なうことを目的とした種族がいたというに過ぎない。


 とうてい個々には書ききれないが、わが国でも「バラバラ事件」と称して、多数の首と胴体を別々にして放置した事件は沢山あるがそれらはすべてが解明されていない。
 冒頭に述べた映画を是非観てみたいものだ。
 私が今一番関心を持っているのは、すすきので首切り殺人を起こした人の心理である。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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