就業規則はなぜ必要か【会社のルール作りの意義】

  「鬚のある男たち」という作品の冒頭に「ひげは生えるから生やすのか、生やすから生えるのか」というくだりがある。就業規則も同じく、法律で決められているから作成するのか、作成する必要があるから法律で決められたのだろうか。

 人間が集まるところには必ず一定の秩序が要求され、一定のルールが求められる。それぞれ違った人間同士が集まるのだから、全員の調和を保つために、必然的に求められるものである。資本主義経済においては、資本家と労働力提供者とが共に協力しあって、同じ目標に向かっていかなければならない。優良企業というのは、正しく【資本力=労働力】のバランスがとれている企業といえる。その労働力を生かし切るのに、就業規則という会社における雇用のルールが必要となるのである。

 歌の文句ではないが、人間は一人一人が皆違う資質、性質を持って,生きている。

 私達は毎日3度の食事をしているが、食事の選び方もそれぞれ個人々全く違うと思う。家族において、食事の担当者は、その日の献立を、家族構成、年齢、嗜好、栄養バランス、費用、費やせる調理時間等、瞬時に頭の中で決める。家族が健康体であることができるのも、食事を提供してくれる人がいてこそであるが、毎日のことであり、良く知っている家族のことだから、この作業もスムーズに出来るのである。

 これが隣の家のメニューを考えなければならないとしたらどうだろう。食事における他のグループのルールを一から組み立てなければならないとしたら大変とまどうであろうし、苦痛ではなかろうかと考える。かなり調査しないと、または、しても隣の家の人々が何を欲するか細かいことは、想像が難しいし、日本人にとって自分の嗜好をせきららに語るのは結構大変だったりもするものだからである。食事一つをとっても、組織(団体)ごとに大きく異なる。学校、保育園、会社等大勢の人たちの食事を作るには、前もってその組織の年齢、嗜好、健康面、栄養面、費用等様々な要素を考慮して献立を作成し、材料を調達し、調理方法及び調理する人達を決め、毎日のことだから素早く進めなければならない。

 同じ人間ではあるものの、年齢、性別、思想、環境、性格も微妙に又は大幅に相違し、しかも相容れない人たちが、同じ目的を持って集まったとしても、一定のルールなくしては、統制がとれず、とても同じ目的を目指してスムーズ(円滑)に仕事を進めることは出来ないと考えられる。

 原始時代では、共存のための暗黙のルール(掟)があり、掟に反したものは、即、死があるのみ。どんな功労者であろうと、情忍びえない者だろうと、この掟を破ることは出来ない。そうすることによって、集人全体の生活を守ったのである。(タブーとトーテミズム) この様に、今日の社会に至るには、多くの変遷があったのであったものの、現在では、皆平等のもとに、全員が安心してお互いに他人を侵害することなく、平和に暮らしていけるように法治国家が確立している。

 就業規則とは、企業の雇用に関するルールである。それは、企業の規模、資本力、属する地域、業種、業務内容、各労働者の職種、賃金形態、雇用形態、雇用期間等々によって、大きく変わるし、要求される要素も大幅に変わってくる。企業のルールを作ろうとすれば、先程の献立話以上に、今度は、労働基準法、男女雇用機会均等法、育児・介護休業法その他労働に関する様々な法律とも関係してくるし、また、いろんな要素を考慮して作らなければならなくなってくる。

 巷にあふれる就業規則作成本をいくつか手にとって、都合の良いところだけつなげてみたり、大企業の就業規則を、そのまま自社に当てはめてみたり、同業他社の就業規則を借りてきて、都合の悪いところや、面倒くさいところは省いて作るなんていうことをしても、いざ、運用しようとすれば、法規違反になっていたり、実際に役に立たないものとなってしまうという事態に陥る可能性もある。法律上は「常時10人以上の者を使用する使用者は、就業規則を作成し、行政官庁に届け出なければならない。(労働基準法第89条)」とあるものの、そもそも就業規則自体作ってないというという企業も少なくない。

 しかし、法的には、就業規則とは大変重要な文書であり、労使間で問題がこじれて紛争が生じたときには、就業規則に規定があるかないか、就業規則が実質的にどのように運用されていたか等この「就業規則」が決定的な役割を果たすことになる。就業規則をきちんと作って、運用することで、会社のコンプライアンス(法令遵守)に資するのみならず、紛争からも企業全体を守ってくれるものなのである。

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