検察調書の恐怖-なぜ今警察(検察)ドラマばやりなのか?-

毎日何かしら警察(検察)官が活躍するドラマをやっています。

主人公の警察官は、必ず正義の味方で、冤罪に泣く容疑者を助けて、真犯人を突き止める素晴らしいヒーローばかりです。

でも現実は、???。

村木元局長の冤罪はとりあえず晴れたものの、小沢氏や鈴木宗男氏等の政治犯の?については、一般国民が知ることが出来ない状態にあることを良いことにどうにでもこじつけられる犯罪者に作り上げているようでならない。(宗男氏も調書の捏造を指摘し、無実を主張していたのですが、そちらは上告が棄却されました)

先日あるドラマを見ていたら、こんなせりふがあった。
先輩、後輩の刑事2名が捜査をして歩きながら、先輩刑事のセリフ
「ねえ君、捜査は何のために行うか知っているかね」
「それは、事件の真実をつき止め、真犯人を逮捕するためじゃないですか」
「君、それは違うよ。捜査は仮説を証明するために行うんだよ」

これが事実だとするならば、身の毛もよだつ現代の怪談である。

先に調書があって、それに肉付けするために、捜査が行われるということなのでしょうか。

私のような何の権力もなく、金もないものは、いつ犯人に仕立て上げられるか、不安でいっぱいです。

まじめにこつこつと働いてきて、何の贅沢もできず、きちんと納税してきたものがある日突然犯罪者にされる。

それぞれが、自分の人生の中で、そこそこ真面目にやるべきことをやっているだけなのに、「99.9%の有罪率」の中で、刑事事件の被告人が、警察=検察=裁判によって地獄に落ちていくという現実(冤罪事件)。

警察、検察だけでなく、公正であるべき国の司法が、それにただ加担しているかのように映ってしまうことも本当に情けないし、恐ろしいと思うのです。

 

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