社会保険労務士として労働を考えてみた

 人間は、昔から変わらない。農作物を作り、食い、生きる。現代では、大半の人は、何らかの労働によりお金を稼ぎ、お金で食物を買い、それを食い、生きる。労働=生きること。しかしながら、人間とは自意識過剰な動物で、若い頃は、かっこよく生きたい、偉くなりたい、ミュージシャンになりたい、作家になりたい、世間の注目を浴びたい、人類最強の男(60億分の一の男 エメリヤーエンコ・ヒョードルみたく!?)になりたい?などという余計な妄想が頭をもたげたりする。けど現実は甘くなく、何らかの労働につくことになる。中年くらいになると、数々の挫折を経た結果、そこそこ生活できて、困らぬようにがんばろうとか、何とか自分の家を持ちたいなとか、とかく現実的で、ものすごいささやかな希望しかもてない生活に突入して、しかもいっそう、より働き続けることになる。ただ、労働せねばまともに生きていけないことを、身に滲みてわかるようになっただけなのだが、、。

 ただ、自給自足の時代から、時代の変化と共に、労働の態様も多様性を帯びてきており、労働とは、もっと多種多様の意味合いを持つようになってきたのも事実で、なぜ自分は労働するのか、労働するとしてなぜこの職業なのか等々考えてみはするものの、簡単には結論は出ないし、結論があってないようなものにも思えてくる。

 社会保険労務士とは、その「労働」にまつわる様々な問題に携わる仕事である。他の分野に比較して、労働法は、より裁判所の形成した独特の判例法理によって規律される部分が多く、機械的な法律解釈だけでは判断できないことが多い。

 【解雇】に関しては,判例から確立された解雇権濫用法理が条文となり、明文化された。「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。」

 客観的に合理的?社会通念上相当?これは、労働市場構造の変化、労働者像の変化、企業の経営環境の変化、企業の規模や経営状況、個別の労働者の生活環境や労働者が抱える様々な事情も考慮するとなると、非常に判断が難しい。判例研究等で、ある程度予測できるとはいえ、、。

 「労働」も「労働法」も、一筋縄ではいかない。

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