脳と記憶

脳とは何か、辞典によれば動物の神経細胞が集合して神経作用の支配的中心となった部分、動物ではほとんどが頭部に集中しているとのことです。脳の構造は、大脳、小脳、脳幹に大別されるそうです。

大脳は人間の脳の中で最も発達した部分で、前頭葉、側頭葉、頭頂葉、後頭葉等に分かれているそうです。
脳の研究が進んでいるとはいえ、まだまだ解明出来ていないところが多くあり、ドグラマグラ以降それほど解明されていないというのが現実ではないのでしょうか。

又脳は、その形状、部分的な大小、位置等によってその働き具合が変わって来ると言われています。前述した前頭葉や側頭葉、頭頂葉、等の形や大小、位置等によってその人の能力が変わってくるということです。
また脳の働き(一次機能、高次機能)についても同じことが言えるそうです。
では脳の働きによる「記憶」についてはどうでしょうか?これも個人差があるとのことです。
辞典によると、記憶とは、物事を忘れずに覚えている、または覚えておくこと、物事を記銘し、それを保持し、さらに後で想起すること、将来の行動に必要な情報をその時点まで保持すること等とある。
なにをいいたいのか、それは個人によって、覚えていること、忘れてしまっていること、忘れて終いたいこと等の強い思いを、脳が受け止めることにより本当に忘れた状態(最初からなかったこと)にしてしまうことがあると思われる。
一例を上げれば、去る2月17日に横浜市金沢区で発生した、追突事故(停止していた車とオートバイ計6台)である。
容疑者(男性、78歳)はそのまま車で走り去って、普段と変わらない様子で行きつけの理容室に行き、帰りに理容室の駐車場で自分の車が壊れているのに気づき、誰かに当て逃げされたのかとおもったが、事故にあった記憶もなく、事故も起こしていない、と話しているとのことです。 この事件について他の人々は、
1.認知症を患っている
2.お酒、薬物等の使用による逃走
3.パニック状態で一瞬の記憶が飛んでいる
4.確信犯(供述は全くの嘘)
等々様々な憶測をしているが、その人の脳の構造により他人(含本人)には理解出来ない言動をすることがある。

私が、以前経験したことを話してみよう。
今から約50年くらい前のこと、当時大手ブラック企業?に勤務していた私は、京橋にある支社に用があって、東村山市の営業所から125CCのバイクに乗って、九段の坂を下るつもりで、中央線の市ヶ谷駅の下方つまり靖国通りと外堀通りが合体して少し先に靖国通りは市ヶ谷橋を上って左に曲がり靖国神社の方へ、外堀通りはそのまま進んで飯田橋の方へいくのだが、私は市ヶ谷橋を上るために橋のたもとの左側の信号機のあるところで止まっていた。その時お濠側にある交番から若い警官が出てきて、私に近づいて来ると「だめだよ赤信号を無視しては」と注意してきた。私はぎっしり詰まって走っている道路なので、車の流れに沿って左側を走っていたのだし、そのまま靖国通りへ曲がってもよかったのだが大事をとって信号に沿って外堀通りから市ヶ谷橋を上っていこうとしたものであってけっして信号無視をしたわけではない。
「私は信号無視はしていませんよ」というと彼の警官は、「いや信号を無視して赤信号で移動した、だから一応注意しておきたかった」と、特に咎めるつもりはない、というそぶりであった、でも私は信号無視した記憶はないのでそれを言いはった、お互いに、した、しない、を繰り返しているうちに段々殺気だって来たが、お互いに証拠は無い。やがて彼はあきらめたのか、今度は気を付けて下さい、と怒った顔でいうとそのまま交番へ戻っていった。
その後いくら考えても信号無視をしていたことは無いとしか思えなかった。

私は特に脳の病気はないし、自分の頭がくるっているとも思っていない。又今日まで普通の人間として生きてきている。他人がどう思っても自分自身しか解らなおことがこの世の中にはある、ということを知って頂きたい。前述した横浜市金沢区の追突事故も、彼の容疑者には、本当に自分がやったということを自覚していないのかもしれない。

脳の形や、一部変形したり、ある部分が発達していたり、又未発達のところがあることによって他人には理解出来ない現象があるということを私達は、忘れていないだろうか?

眠っていて、夢を見る人、見ない人、金縛り、体外離脱、憑依、臨死体験等々、脳の構造により、常識といわれている一般知識(常識)の範囲や今の科学では解明することが出来ないことがまだまだ多くあるのです。

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