”終活””みとり”の選択は誰の為か -死に逝く者に自由はあるのか-

最近「終活」が盛んに持て囃されている。何でも、自分らしく死んで逝きたい、そのための準備をするのだそうだ。

終活は、2009年ごろに始まり、流行語大賞になったとかノミネートされたとか、いまやブームらしい。

これに関する色々な何とか協会、何とかセンターと言うものまで設置されていて、どの様な最後(死に様)が良いのか相談に乗ってくれるらしい。そればかりか、棺桶(今は寝棺)に入って花で埋まり、両手を組み、担当者がそっと蓋をする、入棺疑似体験までさせてくれるとのことです。  又、色々な病気が原因で、患者様の、嚥下機能が悪化した場合に、胃ろうをつくるのか、 みとるのか、その家族が選択しなければならないのが現状だとのことです。  私は、どれが良くてどれが悪いと言っているのではなく、そもそもこんな話題が広まること事態が可笑しいと思っています。

人間は命に限りがあることぐらいは誰でも知っています。でもその命が、いつ何処まであるのかということは、正確には誰にも解らないと思います。

人間の命など終わる時はなんと呆気ないことか、エッまさか!と思うような亡くなり方をされる人が多いのです。そして亡くなられた方の法事は残された家族が行うのです。 (死者が行うことは出来ません)したがって亡くなられる方が生前に決めて置いたとおりに出来るのは限られた方々だけなのです。

「みとり」についても同じです。胃ろうはやめて家でみとります、といっても容態が悪化して七転八倒して苦しんでいても、それを平気でジーっと見ていられる人ははたして何人位おられるでしょうか?  生前に、功成り名遂げた方なら、死後も世に名が残るので、それなりの見栄もあるでしょうが、それ以外の人々はそう思いどおりにいかないのが現状です。  本人に聞けば、迷惑を掛けたくないとの思いから、「簡単でいいよ」「延命の必要ないよ」と言うしかありません。現に死に直面しておられるのは、戦後焼け野原から日本を復興させた方々、死に方云々と言っているのは、その恩恵を受けている人達かなと思われます。

自分で元気な時から決めておけるものは、簡略化した葬儀の方法、(費用をかけないことに重点)それに遺言の分野に入りますが、遺産分割の方法、などでしょうか、後は常識のある家族に、(その時々に応じて)任せすればよいのかなと思います。

疑似体験をして浮かれておられる貴方、自分はまだ当分死なないと思っておられるでしょうが、人の命は儚いものですよ。

 

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