「それでもボクはやってない」 日本の刑事裁判制度

 この映画は、痴漢の冤罪事件を描いた映画であるが、逮捕され、護送されていくところから、取り調べ裁判までの細かいディティールが良く描かれていて、具体的にこういう悲惨な、ひどい目にあうのかということを知ることができた。日本の刑事裁判制度の恐ろしさがわかった映画だった。
 

 刑事裁判で、もし無実の場合には、真実(痴漢をやってないという事実)を主張するために、人生の重要な時間を大幅に失ってしまうばかりではなく、普通の正常の人間であれば、精神的にもぼろぼろにもなる。人生を左右する問題になる。

  映画の被疑者の設定はこれから就職試験を受ける独身の若者であるが、(また、親、友達、元彼女など、様々な人の協力を得るのでまだ救いようがあるが、)家族がいると離婚になり家族を失ったり、会社勤めの人だと会社を辞めざるを得なくなってしまうということになる。おまけに有罪の刻印がおされて、社会復帰も難しくなるばかりでなく、まれに冤罪事件ということが後に判明しても、一定の時期を刑務所の中ですごして、家族とも縁を切られる場合も多く、社会復帰が難しくなることにはかわりはない。

日本の刑事裁判は、起訴されると、裁判で99.9パーセント有罪になるそうである。この数字は、冗談かと思った。衝撃だった。起訴をされれば、ほとんど裁判で有罪となってしまうのだ。そのなかで、否認事件の無罪率は、3パーセントと役所広司演ずる弁護士がいっていたが、それが本当だとすると起訴されたら、ほぼ最後ということになる。

 取り調べ時も、同じことを何度も何度も神経がおかしくなるほど聞かれたり、 取調官が作文をしたものに、はんこを押すようにいわれる(他誘導尋問があの手この手で繰り返される)が、それが日本の刑事裁判制度に於いては、重要な自白という証拠となるのである。

 日本に於いては、いったん被疑者と決められると、それを払拭することが並大抵ではないし、冤罪事件に於いてははじめから犯人と定められ、そのシナリオに沿って取り調べや裁判が行われているかのようであり、恐ろしい気がする。真摯に事件に取り組み、無罪判決をだそうとするまともな裁判官が、どこかにとばされたりと、この映画を見たあとは、暗い気分になるが、世界の中心で愛を叫ぶなどというタイトルをきいただけで鳥肌の立つ映画や、3丁目の夕日のような時代を美化しすぎの映画が取りざたされるなか、日本の刑事裁判という大問題に真摯に取り組んだ、久々の社会派映画を見て、胸が躍る思いではあるのであった。 (喫茶「情報塾」店員K)

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