グロテスクな人々3~「道草」と「河童」考

人間が何かアクションを起こす(行動 =行為)には、意識的、無意識的にかかわらず、その行動を起こさせる何らかの動機がある、とグロテスクな人々1 で述べています。
 
 その動機付けが、能動的なのか又は受動的なのか、好むと好まざるものとに係わらず、他人の意志によって、行動を余儀なくされる事もあると思います。
 さらに、行動をさせられている本人は、その行動をやりたくない、辞めたい、忘れたい、情けない、又は惨めだと、一生もがき続けて行かなければならないのです。そうして、ストレスの過剰と肉体的苦痛の限界を超えてついには人は病気になるのではないでしょうか。

漱石の「道草」には、自分の親戚、養父母、家族等に翻弄され、金をせびられ、神経をすり減らし続ける夏目漱石自身(漱石は胃と神経をやられていしまいます)が自伝的に描かれています。「世の中に片づくなんてものはほとんどありはしない。一遍起ったことはいつまでも続くのさ。ただ色々な形に変わるから他(ひと)にも自分にもわからなくなるだけの事さ」 他人に翻弄される人生は、ある種の人間の宿命なのでしょう。

 私は今病院通いをしています、病気そのものは、大したことではなく日常の生活には何等支障を来さないものです。
 こういうとお叱りを受けるかも知れませんが、年齢が年齢なので、ある程度大きな病院のドクターと懇意にしていれば何かの時に力になって頂けるかも知れない、という打算がはたらいているのです。 

 今日も何ヶ月ぶりかで受診に訪れました。採血をして、それを調べてから診察という手順なので、予約とはいうものの、採血をしてから診察に呼ばれるまで1時間ほど時間がありました。

 待合室で本でも読んでいれば良かったのですが、その準備をしてこなかったので、年寄りの厚かましさで、広い待合室に来ておられる、患者さん、その付き添い、出入りする看護士、事務員等々、いろんな方々をそっと眺めておりました。

 そのうち何か可笑しい事に気がつきました、(当事者には大変失礼ですが、、。)ここは内科のフロアで、患者さんは主に年輩の方が多いのですが、その殆どが何となく異常に思えるのです、患者(病人)だから異常なのは当然だといわれるかも知れませんが、内科ですから見た目(表情)だけでは通常の人と区別がつかないはずなのです。

 それにもかかわらず、足を引きずっている人、腕が片方不自然に下がっている人、腹の皮と背中の皮がくっついている人、妙にぶくぶく太っている人、立っていても片方の肩がおもいきり下がって(上がって)いる人、左右どちらかに首を傾けている人、首だけ前に突きだして両手を亀の手足のようにばたばたさせながら歩いている人、必要以上にきょろきょろしながら、他人の迷惑を顧みず蛇行しながら歩いている人等々、これらの方々が又一様にというかそれぞれ個性的にと言ったらよいのか、何かしら人間離れをした、正常の人達とはかけ離れた一種独特の表情を浮かべているのです。

 かくいう私は、日常生活において、常に正しい姿勢を保っていれば、おのずから病気も治リ、考え方も正しいものになるという持論の持ち主ですので、自分の姿勢には自信をもっておりました。

 ところが、病院をでて、歩いていて、ふと、お店のガラスウインドウに写っている自分の姿を見て唖然としました。
 なんと 、右足の甲が疲労骨折しているのをかばって踵だけで着地し、右足をカバーするために、左足だけに力を入れるので、ぴょこぴょこ飛び跳ねるように歩いている。そればかりか、何時も下げている鞄が重いので、下げている方の肩が下がり、目がよく見えないので、顔を突き出す形になり、どうひいき目に見ても、甲羅をはがされた河童が、大好物のキュウリを拾い損なってとぼとぼ歩いている様な姿が映っていました。

 うわーこれが自分の姿か!と仰天してしまいました。

それからは、どこに行くときも時々歩く姿を気にしながら、出来るだけ颯爽と、正しい姿勢で歩くようにしました。

病気であっても通院できる程度のものであれば、せめて心だけは病気に負けない(病気を苦にしない)ように保ちたいと思うのです。

 

 

 

ブログランキングに参加しております。よろしければポチッとお願いいたします。

士業ブログランキングへ
にほんブログ村 士業ブログへ

人気blogランキングへ

                            

カテゴリー: マスターの戯言 タグ: パーマリンク