初詣と宮本武蔵 -現実・実力・実行-

 時間が早かったにもかかわらず、参道は参詣者たちで賑わっていました。

 元日の初詣は、できるだけ参詣者の少ないところがよいと思い、ある天神神社に向かったのですが、最寄り駅を出るともうそこから参詣者たちが立並んでいました。年末から体調を崩していた私は、この人ごみに揉まれて参拝するのは無理だと思い、その神社に行くことはあきらめました。

 それから一週間過ぎた今、この下町の日蓮宗の神社(寺院と言うべきか?庚申信仰の寺院)に来たのですが、思わぬ賑わいに驚きました。私は、別に日蓮宗信者ではなく、また特に信仰する神仏は無いので、(無宗教)何処でもよかったのです。
 細い参道には両側に小さなお店がズラーっと並び、草団子、おでん、せんべい、お守り、民芸品等々お定まりの光景を展開しています。
 目的を失った羊の群れのような参詣者達の間をぬって、本殿にたどり着き(本殿前の広場は思ったより狭かった)お賽銭を放り込み手を合わせたが得にお願い事はしませんでした。
 この賑わいも一歩裏側に回ると、人の影さえなく集い来た善男善女は、人込みの中にこそご利益があると信じているようです。
 初めての土地なので、その辺をブラーっと、一時間ほど散策して戻ってみると、参詣者は愈々その数を増し、子供連れ、老人連れ、カップル、婆様同志、爺様同志、子供のグループ、あつかましい女性グループ、これらが渾然一体となって自己中心的な行動をとり、混雑を更に混乱させていました。

 おみくじを引いてみました、凶でした。
 これで、私の肚は決まりました。
 前年は元日から何か不安な心地がしていたのですが、やはり仕事も旨く行かず、豪雨、猛暑等により何度か病を誘発し、疲労困憊に達していたのです。
 そして、私の心奥深く沈んでいる「予知能力」が最後の日まで油断するな、とささやきかけていたのです。それで気持ちを引き締めていたつもりでしたが、全く最後の最後の日に自分が信じていた人に裏切られてしまったのです。(思い過ごしかも知れませんが、、。前述の元日に体調を崩していたのはそのためだったのです。)

 今年こそは、気弱さが招く不幸を払拭せねばと思いあることを断固実行しました。
 そのために私の大切な人達二人を巻き添えにしてしまったのです。
 それを何とか自分の力で解決しなければいけないと悩んでいた折も折、おみくじが凶とでたことにより私は肚を決めました。
 神仏や他人に頼らず、どんなことが有ろうとも必ず自分の力で解決していく覚悟をしたのです。「神仏は敬うものにて、頼るものではない」といったのは、宮本武蔵か?
 私は、「神秘、怪奇、幽玄、幻想、耽美、等々」が入り混じった小説が大好きですが、私生活は、現実・理論派であり、まやかしは大嫌いです。

 今年は前年にも増して大変な年になるような予感がいたします。

どんなことがあろうともそれを現実として受け止め、敢然として戦うつもりです。
この事を強く心に念じ、本殿に向かって一礼すると踵を返してごった返す参詣者達を(ポーの群集の人のように)かき分けかき分け参道を抜けて帰路に着いたのでした。

 

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