戦争とテロ

我が国(日本)の企業数は約386万社といわれている。その内中小企業の占める割合は約99,7%とのことである。中小企業と大企業の違いは何か、大別して中小企業は、資本金(出資金)が3億円以下で従業員数が300人以下の会社及び個人となっている。(制度等により他の分け方もあるらしい)

それでは、「戦争」と「テロ」の違いはどう違うのだろうか?
ネット上でみると、「戦争とは」軍隊と軍隊が兵器を用いて争うこと、国家が武力を用いて他国を攻撃すること、国際法上は宣戦布告により起こる争い、等々幾つかある。

それでは「テロとは、(テロル・テロリズム)何か」同様にネット上では、政治的な目的を持つ暴力行為、非合法な暴力・脅迫を市民に対して行うこと、特定な主義・主張を国家に強要し、社会に恐怖を与える行為等々、
それでは又広辞苑にお出ましを願うと、「戦争とは」①たたかい、いくさ、合戦 ②武力による国家間の闘争とでている。
「テロとは」テロル、テロリズムの略、テロル(恐怖の意)あらゆる暴力手段に訴えて政治的敵対者を威嚇すること、テロリズム、政治目的のために暴力或いはその脅威に 訴える傾向、又その行為、とある。

思うに「戦争」とは国家間の争いであり、「テロ」とは少数の人間集団が、自己の欲望を満たさんがために暴力や非合法な手段をもって善良な者に対して危害を加える事と言えるのではないだろうか?。

去る3月16日ウクライナのゼレンスキー氏は、アメリカ議会に対しオンライン形式 で演説した際に、日本が真珠湾攻撃を行ったことを引き合い出して、我が日本国を悪のテロ国家と表現した。
ネット上でこの反応をみると驚いたことに彼の言葉を容認している人が結構いるのだ、あれはもう77年も前のことだとか、なるほど今回の戦争にぴったりだとか、あれは軍部の一部の人間が行ったのだ等々、私には到底理解できない人達がいることにびっくりした。

この時の戦争(第二次世界大戦・・日本的には太平洋戦争か)は、テロでも無ければ軍部の暴走ではない、そのときには止むに止まれぬ事情があったのです。時の超大国アメリカを相手に戦争を仕掛けた(窮鼠かえって猫を噛む)その心情たるや悲壮なものだったのだと思います。日本はなぜか学校教育で「近代史」をおざなりにしている。
そのためにわずか80年足らずの内に歴史がゆがめられてしまっていると思われます。歴史はいつまでも続くのです。その歴史が真実をゆがめられてしまっていたなら、うその歴史がいつの間にか本物として語り継がれて行くのです。毎年12月(年末)になると始まるあの敵討ちの映画や芝居等がそのいい例かもしれません。

100年、200年の後、気まぐれな劇作家等が、この戦争のことを面白おかしく(滑 稽本のように)戯曲を書いたとしたらどうなるか、(日本人が竹槍で時の最新鋭戦闘機B-29を突き落としたなどの様な)これが売れに売れてずーっと後世に語り継がれて行くとしたらどうなるか、事実と全く違う太平洋戦争が事実となって語り継がれて行くことになる。

今私達が真実として認識している過去の歴史を学校等で公に教えられないなら、それぞれ個々に深く調べてみるのも面白いと思います。
日本もいつまでも他の国を頼っているのではなく、独立国としてどこからも攻め入られる事のない国力を至急備えることが急務であると考えます。

”かくすればかくなるものと知りつつも止むにやまれぬ大和魂”

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